1・マグロとは?その魅力と重要性
マグロ(鮪)は、スズキ目サバ科マグロ属に分類される大型の海水魚の総称です。流線型の美しい体躯、高速で大海原を回遊するダイナミックな生態、そして何よりもその卓越した食味から、世界中で重要な水産資源として利用されています。特に日本では、「魚の王様」とも称され、寿司や刺身といった食文化の中心的存在として、古くから特別な地位を占めてきました。
その人気は日本国内にとどまらず、世界的な日本食ブームとともにマグロの需要は国際的に高まっています。一方で、その高い需要と価値ゆえに、一部の種類では乱獲による資源枯渇が深刻な問題となっており、持続可能な利用のための国際的な取り組みが急務となっています。
本稿では、この魅力的でありながら複雑な問題を抱える魚、マグロについて、その生物学的な特徴、種類、漁法、流通、部位ごとの味わい、栄養価、食文化との関わり、そして資源問題と持続可能性まで、多角的に詳しく解説していきます。
2. 生物学的特徴と生態
マグロはその巨体と驚異的な遊泳能力を支える、ユニークな生物学的特徴を持っています。
分類と種類:
マグロ属(Thunnus)には、主に以下の8種が分類されています。
クロマグロ(本マグロ) Thunnus orientalis / Thunnus thynnus
ミナミマグロ(インドマグロ) Thunnus maccoyii
メバチマグロ Thunnus obesus
キハダマグロ Thunnus albacares
ビンナガマグロ(ビンチョウマグロ) Thunnus alalunga
コシナガ Thunnus tonggol
タイセイヨウマグロ Thunnus atlanticus
カツオ Katsuwonus pelamis(※近縁種であり、広義のマグロ類に含まれることがある)
この中でも特に重要なのが、クロマグロ、ミナミマグロ、メバチ、キハダ、ビンナガの5種です。
形態:
体型: 高速遊泳に適した完璧な紡錘形(流線型)をしています。水の抵抗を最小限に抑えるための進化の結果です。
体温維持能力: マグロは変温動物でありながら、「奇網(きもう)」と呼ばれる特殊な血管系(動脈と静脈が近接して熱交換を行う)を持ち、筋肉で発生した熱を保持することで、周囲の海水温よりも高い体温(筋肉温度)を維持することができます。これにより、冷たい水中でも筋肉の活動性を高く保ち、高速遊泳を可能にしています。
ヒレ: 第1背ビレ、胸ビレ、腹ビレは、遊泳時に体表の溝に格納することができ、水の抵抗をさらに減らします。尾ビレは三日月型で、強力な推進力を生み出します。
大きさ: 種類によって異なり、ビンナガマグロは1m強・数十kg程度ですが、クロマグロは3m以上、体重400kgを超える巨大な個体も記録されています。
生態:
遊泳能力: 時速数十km、瞬間的には時速100km近くに達するとも言われる高速遊泳能力を持ちます。休むことなく泳ぎ続け、エラに水を通すことで呼吸しています(ラム換水)。
回遊: 餌や適水温、産卵場所を求めて、数千kmにも及ぶ大規模な回遊を行います。太平洋や大西洋を横断する種類もいます。
分布: 世界中の温帯から熱帯の海域に広く分布します。種類によって好む水深や水温が異なります。
食性: 肉食性で、イワシ、アジ、サバなどの魚類や、イカ、甲殻類などを捕食します。その大きな体と高い活動性を維持するために、大量の餌を必要とします。
繁殖: 種類や海域によって異なりますが、多くは暖かい海域で産卵します。一度に数百万~数千万粒もの大量の卵を産みますが、成魚まで生き残れるのはごくわずかです。仔稚魚はプランクトンや他の魚の卵・稚魚を食べて急速に成長します。
寿命: 種類により異なりますが、小型のビンナガで10年程度、大型のクロマグロでは20年以上生きると考えられています。
3. マグロの種類別詳細
市場でよく見かける主要なマグロ5種について、その特徴を詳しく見ていきます。
クロマグロ (本マグロ / Bluefin Tuna):
学名: 太平洋クロマグロ (T. orientalis)、大西洋クロマグロ (T. thynnus)
特徴: マグロの王様。最大級の体躯と、最高級の品質を誇ります。赤身は色が濃く旨味が強く、トロはきめ細かく上質な脂が乗ります。日本近海を含む太平洋、および大西洋の温帯域に分布。
資源状況: 乱獲により資源量が著しく減少し、IUCN(国際自然保護連合)のレッドリストでは太平洋クロマグロが「危急 (VU)」、大西洋クロマグロが「絶滅危惧 (EN)」と評価されています(評価は変動する場合あり)。厳しい国際的な漁獲規制下にあります。
利用法: 主に高級な刺身、寿司ネタとして珍重されます。「黒いダイヤ」とも呼ばれます。
ミナミマグロ (インドマグロ / Southern Bluefin Tuna):
学名: T. maccoyii
特徴: クロマグロに次ぐ高級種。身質はクロマグロに似ており、赤身の色が濃く、脂の乗りも良く濃厚な味わい。南半球の南緯30~50度付近の冷水域に分布します。
資源状況: クロマグロ同様、資源減少が深刻で、IUCNレッドリストでは「絶滅危惧IB類 (EN)」に分類されています。厳しい漁獲管理下にあります。
利用法: 主に刺身、寿司ネタとして高級品扱いされます。
メバチマグロ (Bigeye Tuna):
学名: T. obesus
特徴: その名の通り目が大きいのが特徴で、やや深層を好みます。世界中の温帯・熱帯海域に広く分布し、漁獲量も多い種類です。赤身は鮮やかな赤色で、程よい酸味と旨味があります。トロの部分も適度に脂が乗っています。
資源状況: 一部の海域で資源減少が懸念されており、資源管理が行われています。
利用法: 刺身、寿司ネタとして一般的によく消費されます。加熱用や加工用にも使われます。
キハダマグロ (Yellowfin Tuna):
学名: T. albacares
特徴: 第2背ビレと尻ビレが黄色く、鎌状に長く伸びるのが特徴。世界中の温帯・熱帯海域の表層近くに広く分布し、漁獲量が最も多いマグロの一つです。身は淡いピンク色で、脂肪が少なくあっさりとした味わいです。
資源状況: 比較的回復力が高いとされますが、海域によっては資源状態が懸念されています。
利用法: 刺身、寿司ネタとしても流通しますが、身質の柔らかさから加熱用(照り焼き、ステーキ)にも適しています。ツナ缶の主要な原料としても広く利用されます。
ビンナガマグロ (ビンチョウマグロ / Albacore):
学名: T. alalunga
特徴: 胸ビレが鎌状に非常に長いのが最大の特徴。世界中の温帯・亜熱帯海域に広く分布します。身は白に近い淡いピンク色で、非常に柔らかく、やや水っぽいとも言われます。トロの部分(ビントロ)は脂が乗り、人気があります。
資源状況: 海域によって異なりますが、比較的安定しているとされる資源もあります。
利用法: 主に「ホワイトミート」と呼ばれる高級ツナ缶の原料として重要です。刺身(特にビントロ)としても流通しています。
4. マグロの漁法
マグロは様々な漁法で漁獲されていますが、それぞれ特徴と課題があります。
延縄(はえなわ)漁:
一本の長い幹縄(みきなわ)に、多数の枝縄(えだなわ)とその先の釣り針(餌付き)を取り付け、海中に水平に長く延ばしてマグロを釣る漁法。
主に大型のマグロ(クロマグロ、ミナミマグロ、メバチマグロなど)を対象とします。
一尾ずつ釣り上げるため、魚体の損傷が少なく、船上での処理もしやすいため、高品質なマグロが得られやすいとされます。刺身用の生鮮・冷凍マグロの多くはこの漁法で漁獲されます。
課題として、ウミガメ、海鳥、サメなどの混獲(意図しない生物が釣れてしまうこと)があります。対策として、鳥よけの仕掛けや、サメが切れやすい糸の使用などが試みられています。
巻き網漁:
マグロの群れ(特にキハダやメバチ、カツオなど)を巨大な網で包囲し、網の底を絞り込んで漁獲する漁法。
非常に効率が高く、大量漁獲が可能ですが、魚同士が擦れ合ったり、網の中で圧迫されたりするため、延縄に比べて魚体の品質がやや劣る傾向があります。主に缶詰などの加工原料用として多く漁獲されます。
課題として、マグロ以外の魚や、場合によってはイルカなども一緒に網に入ってしまう混獲問題、まだ小さい若齢魚までまとめて漁獲してしまうことによる資源への影響が指摘されています。FADs(集魚装置)の使用が混獲問題を助長する側面もあります。
一本釣り:
竿と糸と針を使って、一尾ずつ釣り上げる伝統的な漁法。主にカツオ漁で有名ですが、マグロ(特に近海もの)も対象となります。
魚の品質は非常に高く保たれますが、漁獲効率は低く、労力も大きいです。
定置網:
沿岸近くに設置された巨大な網に、回遊してきた魚が迷い込むのを待つ受動的な漁法。様々な魚種が混獲される中にマグロが入ることもあります。
5. マグロの流通と加工
漁獲されたマグロは、鮮度を保つための様々な工夫を経て、私たちの食卓に届きます。
鮮度保持:
船上処理: 釣り上げられた直後に、血抜き(生臭さや変色を防ぐ)、神経締め(死後硬直を遅らせる)、内臓除去などの処理が迅速に行われます。
冷凍技術: 特に遠洋漁業で漁獲されたマグロは、船上で急速凍結され、-60℃以下の超低温で保管・輸送されます。この温度帯で保管することで、細胞の破壊や酸化を最小限に抑え、長期間にわたり生に近い品質を保つことができます。家庭用冷凍庫(-18℃程度)では品質劣化が早いため注意が必要です。
流通経路: 漁港に水揚げされたマグロは、市場(豊洲市場などが有名)でセリにかけられ、仲卸業者を通じて小売店(鮮魚店、スーパー)や飲食店へと流通します。近年は、産地直送やオンライン販売なども増えています。
流通形態:
生鮮マグロ: 一度も冷凍されていない状態。近海物や空輸されたもの。鮮度が命で、独特の風味や食感が楽しめますが、日持ちしません。
冷凍マグロ: 超低温で冷凍されたもの。解凍技術が重要になります。ブロック状(大きな塊)、サク状(刺身用に切り出した柵)などで流通します。
加工品:
ツナ缶: マグロの最もポピュラーな加工品。キハダやビンナガ(ホワイトミート)を原料に、油漬けや水煮にされます。カツオを原料にしたものも多くあります。
ネギトロ: マグロの身を細かく叩いたり、中骨周りの身(すき身)を集めたりしたもの。油脂などを添加している製品もあります。寿司、丼物、軍艦巻きなどに使われます。
その他: マグロ節(出汁用)、角煮、時雨煮、生ハム風、ソーセージなど、様々な加工品が作られています。
6. マグロの部位と味わい
マグロは、部位によって色、食感、脂の乗り具合が大きく異なり、それぞれに違った美味しさがあります。
赤身 (Akami):
主に背中側の、脂肪が少ない部位。
色は鮮やかな赤色。身質はしっかりとしており、マグロ本来の濃厚な旨味と、わずかな酸味が楽しめます。鉄分が豊富です。
中トロ (Chutoro):
腹側や背側の皮に近い部分など、赤身と脂肪が適度に混ざり合っている部位。
赤身の旨味と、脂の甘み・とろけるような食感の両方をバランス良く味わえます。寿司ネタとしても非常に人気があります。
大トロ (Otoro):
腹側の最も脂肪分が多い部位。特に腹部前方(腹カミ)の部分は最高級とされます。
白っぽいピンク色で、きめ細かいサシ(脂肪)が入っています。口に入れると、体温で脂が溶け出し、濃厚な甘みと旨味、とろけるような極上の食感が楽しめます。価格も最も高価です。
その他の部位(加熱用など):
カマ: エラの後ろ、胸ビレの付け根の部分。骨の周りに身が多く、旨味が強い。塩焼きや煮付けにすると絶品です。
カマトロ: カマの中でも特に脂が乗った部分。大トロに匹敵するほどの脂の旨味があります。
脳天(頭肉、ハチノミ、ツノトロ): 頭頂部の筋肉。一匹から少量しか取れない希少部位。独特の筋がありますが、加熱すると柔らかく、脂も乗っています。刺身、炙り、ステーキなど。
ほほ肉: エラ蓋の内側にある筋肉。よく動かす部分で、加熱するとホロホロと柔らかくなります。ステーキ、フライ、煮付けなど。
尾の身(テール): 尾に近い部分。筋が多く硬めですが、ゼラチン質も含み、旨味が強い。ステーキや煮込み料理に適しています。
すき身: 中骨の周りについている身。スプーンなどで掻き取って集められ、ネギトロの原料になります。
7. マグロの栄養価と健康効果
マグロは美味しいだけでなく、栄養価の高い優れた食材です。
良質なタンパク質: 体を作る基本となるタンパク質を豊富に含みます。必須アミノ酸もバランス良く含まれています。
DHA(ドコサヘキサエン酸)・EPA(エイコサペンタエン酸): 青魚に多く含まれるオメガ3系不飽和脂肪酸。特に脂の多いトロの部分に豊富です。
血液をサラサラにする効果(血栓予防)
中性脂肪や悪玉コレステロールを減らす効果
脳機能の維持・向上(記憶力、学習能力)、認知症予防
アレルギー症状の緩和、抗炎症作用などが期待されています。
ビタミン:
ビタミンD: カルシウムの吸収を助け、骨の健康維持に不可欠。
ビタミンB群 (B6, B12, ナイアシンなど): エネルギー代謝や神経機能の維持に重要。
ビタミンE: 強力な抗酸化作用があり、細胞の老化を防ぎます。
ミネラル:
セレン: 抗酸化作用を持つ必須ミネラル。甲状腺ホルモンの活性化にも関与。
鉄: 赤血球を作るのに必要で、貧血予防に役立ちます(特に赤身に多い)。
カリウム: 体内の余分なナトリウムを排出し、血圧の調整を助けます。
注意点:水銀含有量: マグロのような大型の肉食魚は、食物連鎖を通じてメチル水銀を体内に蓄積しやすい傾向があります。特にクロマグロ、メバチマグロなどは含有量が高めです。通常の食生活で健康に影響が出るレベルではありませんが、胎児への影響を考慮し、妊婦や妊娠の可能性のある女性に対しては、厚生労働省から摂取量の目安(例: クロマグロは週に1回80gまでなど)が示されています。詳細は厚生労働省のウェブサイトなどで確認することが推奨されます。
8. マグロと食文化
マグロは世界各地で食べられていますが、特に日本との関わりは深く、独特の食文化を形成しています。
日本におけるマグロ:
古くは下魚として扱われていた時代もありましたが、江戸時代中期以降、醤油の普及とともに赤身のヅケなどが江戸前寿司のネタとして人気を博しました。
冷凍技術の発達により、遠洋で漁獲された脂の乗ったマグロ(トロ)が流通するようになると、トロ人気が爆発的に高まりました。
現在では、寿司、刺身はもとより、丼物、焼き物、煮物、揚げ物など、様々な料理で楽しまれています。
市場やイベントで行われる「マグロ解体ショー」は、エンターテイメントとしても人気があります。
世界におけるマグロ:
地中海: 古くからマグロ漁が行われ、イタリアやスペインなどでは、カルパッチョ、グリル、パスタソース、保存食(オイル漬けなど)として利用されています。
アメリカ・ヨーロッパ: ステーキやグリルとして加熱調理されることが多いほか、ツナ缶はサンドイッチやサラダの具材として広く普及しています。
ハワイのポキ(ポケ)など、各地で独自のマグロ料理文化があります。
9. マグロ資源の現状と持続可能性
マグロ、特にクロマグロやミナミマグロといった大型種は、その価値の高さから集中的に漁獲され、資源量が著しく減少していることが国際的な問題となっています。
資源枯渇の懸念: 過剰な漁獲能力、若齢魚の漁獲、違法漁業などが原因で、多くのマグロ資源が危機的な状況にあるか、その危険性が指摘されています。
国際的な資源管理: 大西洋まぐろ類保存国際委員会(ICCAT)、中西部太平洋まぐろ類委員会(WCPFC)などの**地域漁業管理機関(RFMO)**が、科学的データに基づいて資源評価を行い、国別の漁獲枠(TAC: 総許容漁獲量)の設定、漁具や漁期の制限、最小サイズの規制などを行っています。しかし、各国の利害が対立し、十分な規制が合意されないケースもあります。
IUU漁業: 違法(Illegal)・無報告(Unreported)・無規制(Unregulated)な漁業が、資源管理の効果を損なう大きな要因となっています。
養殖技術の進展:
資源枯渇への対策として、マグロの養殖(蓄養と完全養殖)が進められています。
蓄養: 天然の若いマグロ(ヨコワなど)を捕獲し、生簀で大きく育てる方法。資源への負荷は残ります。
完全養殖: 人工的に孵化させた仔魚から親魚まで育て、さらにその親魚から採卵して次の世代を育てる技術。近畿大学がクロマグロで世界で初めて成功しました。資源への負荷がない点が利点ですが、コストが高い、病気対策、餌の問題(天然資源であるイワシなどを大量に必要とする)、環境負荷などの課題もあります。
持続可能な消費:
私たち消費者も、マグロ資源の現状を理解し、責任ある選択をすることが求められています。
MSC(海洋管理協議会)認証: 持続可能な漁業で獲られた水産物を示す「海のエコラベル」。MSC認証付きのマグロ製品を選ぶことは、適切な資源管理を支援することに繋がります。
資源状態の良い種類を選ぶ: キハダやビンナガ、カツオなどは、クロマグロやミナミマグロに比べて資源状態が比較的良好な海域もあります(ただし、漁法による問題は別途考慮が必要)。
食べ残しをしない、適量を購入するなど、食品ロスを減らすことも重要です。
10. おわりに:マグロとの未来
マグロは、その力強い生命力と比類なき味わいで、私たちを魅了し続ける海の恵みです。日本の食文化とは切っても切り離せない存在であり、世界中で愛される重要な水産資源でもあります。しかし、その人気ゆえに、今、私たちはマグロ資源の危機という現実に直面しています。
科学的根拠に基づいた国際的な資源管理の強化、混獲を減らす漁法の開発、環境負荷の少ない養殖技術の確立、そして私たち消費者一人ひとりが持続可能性を意識した選択をすること。これらが連携して初めて、マグロという貴重な恵みを未来の世代へと引き継いでいく道が開かれます。マグロの美味しさを享受し続けるために、私たちには何ができるのか、考え、行動していくことが求められています。